A
「編集する。」
台本となった4月6日の文字起こしから、
要点でない所を削っていく。
内容が集約されてわかりやすくなる。
4月8日の終演後、
舞台にしないとダメだ!と、6日の内容を文字起こしする。
次は覚えること。
9日の17時開演までに。
脈絡を入れて行く。繋がりのノイズとなる部分。飛躍する部分。「どうでもいい」に属する部分。削るとなんて内容がわかりやすくつながるのだろう…と小さな感嘆。
「内容を伝えるんだ」
ジレンマ
作品として良かったか
俳優として良かったか
が一番最初にみられる
しかし、今、伝えたいことは内容自体なのだ
作品、コンセプトとして、良くならなくても
テキストにあるこれをつなげて伝える
それに、私が用意したこの場
舞台空間を思い描いてしまう所
内容にある「演劇」との不可分
私は舞台作品のケを強くした。
「なんだかわからなかった」感想よりは、
つまらない作品の「内容」が受け取られるのが、今回はいいのだ。
B
私がうじうじと悩んでいる内容は、
わかりやすく私の出来事に軸足を置きながらも、
他の人にも、当てはまるんじゃないか。
だから、私も、この葛藤(悩み)について聞けるんじゃないか。
かわいそうな私ではない
私は何冊もノートを書いたが、
悩み抜いて「問い」が止まった所がある。(次の正解の言葉が出られない)
そこをぶつけるのが、一番有意義な予感がする。
C
「対象者」 誘わない 知っている
今回はなんとなく対象者があった。
同世代くらいの、同じ界隈を知っている人。
しかし、「観に来てください」と言うのも違う感じがして、誰にも送らなかった。
宣伝はしたかったのだが。
観る責任を、付けたくなかったのか。
(「観に来てください」と言うと、舞台にいると決まってしまう感じがした。そこで凝縮された良し悪しを語られるのか?違う。)
企画的なことをして、伝えようとも思ったが企画倒れで、結局フェイスブックとツイッター、HPだけで告知した。
E
・カメラに今までのことを吐露する
・身近な人に話しながら、話しかける、説明する
・強烈な他者の前で話す
4月8日
自分がこの場にいる理由を認めてもらうのが第一になる 内容へ行かない
恥ずかしい 第一ステップ
ずっとゼロ
目の前の人と作るとは
本当に私の知らない人がいる
この場所 この内容 どう紡ぐと「わかる?」のだろう
ずっとゼロフィニッシュ
戸惑う私の現実だけある
F
人を頼った公演だった
今までもそうだったが
初めて主催し会場と連絡する
見学 のびのび作って下さい
照明 を頼む リミット 私の知らない何かがあてられる期待
こんな場所にも吊れる 壁 時間
助手 と後で名前がついた 相談する 弱音を吐く 話す相手になってもらう
立ち会い人
お話し会 各々のメンバーの力
カラーチラシを100部刷るインク代は8000円だった 入稿
G
私は話したい。
人生の期待
あるか 何か どのように持ってきたのか
何に、期待、してる?
問いが止まって破った先のこと
すぐ忘れてしまう。人生の問題に。
終わった安心感は、できなかった事を隠して行くかもしれない
D
三日目までの動き/話しかける
3月19日に、稽古場で、カメラに向かって吐露したこと
3月23日に、佐々木くんのいる中で「こういうことしてたんだけど」と話して行ったこと
4月6日に、仮の本番0日目として、他者感を強く感じながら、集約して話したこと
4月7日 私一人意味を感じない
4月8日 「演劇」にするのもなあ、とあやふやなままにしたかった。何回かできたように、ノートに書いた問題を触れて集めてこようと思ったが・・・
アフター:「演劇」と「形」を持っていないと、その場にいる正当性を問うことに負けてしまう。
正直に言うと、仕事を休むとその分忘れる。不満が。
一番の緊張が「内容」から「この場に成立していること」へ。違う。
4月9日 台本を作り、形にする。
演劇としての成立を目指す。
覚えるための過程で、面白く感じた。
覚えられないから、思い切り削ったこと。そう、いらない所を。
どうなってどうなったか、成り行きに印をつけている。
成り行きと動きを合わせて覚える糧にしている。
覚えられないと踏んだ後半、テキストのまま持ち込む決定をする
4月10日
振り返って、動きが多い。動きで喋っている。と、ひく。
だいぶ覚えて動機が薄れる。
「内容を伝えるんだ」と動機を書く。
「私」の動くスペースを多くした。
落ち目の内容に引かれ、やや落ち込み節的。
全て言い終わった後、材料が近くにある状態になり、最後thinkinng的に話せた。
この可否ではなくて、材料が揃って言えるのだ、という所、その時の面白さと納得に、標をつけたい。