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前田愛美『活動宮』による演劇の「再発見」

 

音楽は何のために

鳴り響きゃいいの

こんなにも静かな世界では

心震わす人たちに

手紙を待つあの人に

届けばいいのにね

 

30年くらい前にフィッシュマンズの佐藤伸治が歌った有名すぎる一節。納屋納屋もあとから知ったことだけど、今となっては日本音楽シーン最大の名盤のひとつになっている『空中キャンプ』も 1996年の発売当初はまったく売れず、音楽メディアが大々的に取り上げることもなかったらしい。フィッシュマンズは2000年に佐藤伸治の早すぎる死去による一時的な解散以降どんどんその評価を高めていき、2020年以降はとくに海外の新しいリスナーたちに再発見されたことによって、今年3月には『LONG SEASON』がピッチフォークで9.3点という最高クラスの評価を受けた(※)。子供のときと思春期の時期と大人になってからで好きな音楽がそれぞれ違ってくるように、それぞれ違った時代に生きる人によって音楽の聞こえ方が違うというのは納得できる。2020年パンデミックに見舞われ「STAY HOME」が掲げられた世界中の人々の耳にフィッシュマンズの危うげかつ心地よい音が刺さったのも頷ける。筆者は同じ時期、曽我部恵一『PINK』を発売当初以上に自分の体に馴染む音楽として再発見して愛聴していた。そして改めて納屋納屋は不思議に思う。何がそうさせているんだろう? アルバムに収められている音は何も変わっていないのに?

 

(※) Fishmans: Long Season Album Review | Pitchfork

 

たとえば、舞台芸術の世界ではそういう再発見の流れが起こったことってあるんだろうか。ここで問題にしているのは生前からすでに評価されていた作品が時間を経て「再評価」されるということではない。90年代は商業的な成功からは遠かった活動当時のフィッシュマンズが2020年代には世界中で聴かれている例や、生前は自費出版で出してもほとんど売れなかったニーチェやカフカ、またはゴッホのような画家の作品が作家の死後に「再発見」される、そういう例だ。舞台芸術の世界では、生前から評価の高かった人が死んだあとさらに神格化していくという流ればかりな気がする。もともと評価されていることが作品の記録が残る条件であり、その人について言葉が語られる条件のように思う。評価されていない誰も知らない人について語られた言葉は誰も読まないから。それからもちろん作品の記録された映像や戯曲といった媒介は、作品それ自体とはまったく別のフォーマットでしかない。ぼくたちわたしたちの愛してやまない舞台芸術は、その上演された時間のその劇場内にしかない。納屋納屋がこれから書いていこうとしている5月21日にUrBANGUILDで上演された前田愛美『活動宮』についての言葉もその記録のうちの一部分にしかなれない。

 

そうやって「記録」として作品それ自体とは全く別のフォーマットとして残されるのもまた舞台芸術の歴史の一部であり、また一方「記憶」として客席にいたそれぞれの観客の脳内に残るのも舞台芸術であり、納屋納屋は作品それ自体と並んでその記録や記憶も愛してきた。舞台芸術について書かれた言葉、古今東西の演劇の歴史、先輩たちから聞く昔話、過去公演の記録映像、どれもが夢を膨らまさせてくれた。1969年の劇団天井桟敷と状況劇場の喧嘩、宮沢章夫の『水の駅』評、90年代の野田地図や大人計画の公演映像。または京都小劇場の諸先輩方から聞く鈴江さん土田さん松田さんのいた京都、その拠点であったアートスペース無門館。野外劇場を建てて1000人動員した岡嶋秀昭さん在籍期の劇団衛星、立命館大学キャンパス内で火を吹いていた劇団西一風の山口吉右衛門。思い返してもワクワクしてくる。そういった歴史の連なりのひとつに自分はいるんだと思っていた。ある意味、元気だった時代の最期を体験することができたのは幸運だったかもしれない。精華小劇場やアトリエ劇研で見た先輩たちの作品はずっと脳内に残り続けるだろうし、幸運なことに自分も力量不足ながら何度か舞台には立たせてもらった。それが2010年代までの記憶。

 

そして2024年。唐十郎が亡くなった。こまばアゴラ劇場が40年の歴史を終えた。これらは日本の演劇史の中でこれからも語り継がれていくだろうし、そうなるべきだと思う。言うまでもない。唐十郎の功績は愛知の「優しい劇団」のような新しい世代のゲリラ野外劇として再定義されて、その大きな源流のひとつとして語り継がれていく。こまばアゴラ劇場は貸し小屋業務を停止し全公演を劇場プロデュースとする独自の経営で若手を支援し、さらに旅公演をサポートすることで東京に限らない日本各地の舞台芸術シーンの横のつながりが活性化され、この劇場によって多くの才能が発見され育っていった。その劇場経営はあごうさとし芸術監督時代のアトリエ劇研とその後THEATRE E9 KYOTOの経営にも多大な影響を与えている。また日本全国の同規模の民間小劇場ネットワークをつくった功績も大きく、このネットワークは平田オリザが芸術監督を務める江原河畔劇場に引き継がれている。

 

前田愛美『活動宮』評のはずがすっかり脇道に逸れてしまっているが、ここまで書いてあらためて最初の問題に戻る。

 

ファッション、音楽、映画、文芸、美術、それぞれの芸術分野では何度も起こっている「再発見」という流れ、それは舞台芸術の世界で起こったことってあるんだろうか。それが起こらないとしたら原因は何か。それはすでに書いた。「評価されていない誰も知らない人について語られた言葉は誰も読まないから」。それが起こらないのは良いことなのか悪いことなのか。納屋納屋は「それは悪いことだ」ってはっきり言いたい。ここにぼくたちわたしたちが舞台芸術とくに演劇を愛してやまない理由と、愛し続けた結果として今の時代に存在意義を失くしてしまった敗因がある。ここで「そんなこと分かってるよ!でも評価されていない誰も知らない人についての誰も読まない言葉なんか書いても意味ないよ!だから書かない」という利口な選択をすることもやめにしたい。納屋納屋は劇場で演劇作品を見た。その記憶が今も頭の中には強く残っている。そのとき客席に20人もいるかいないかだった。あの上演が歴史の中に埋もれることなく、伝説になったりもせず、2024年という時代に小劇場俳優のただひとりが上演した『活動宮』は歴史のひとつとして今後も残ってほしいと思った。

 

『活動宮』は2024年5月21日、京都木屋町のアートスペースUrBANGUILD主催のイベント「3 CASTS vol.36」にて上演された。納屋納屋はとなりに座っていた友人と終演後に「ヤバいよね」「いやヤバくないよ」「そうだね、ヤバいって言って楽になろうとしてたわ」という会話をしたのを覚えている。『活動宮』は、フィクションであることを前提としている演劇という形をとっているのに、作品内では本当のことしか言っていない。人が舞台に出て本当のことを言っている、それだけの30分間。これは普通のことだ。当然のことを当然にやっているだけ。でもこんな演劇はなかった。これが演劇かどうかを問題にしたいわけではないけど、なぜこれを演劇だと捉えてしまうのか。このことは問題にして考えたい。結果、納屋納屋の愛してやまない舞台芸術、とくに愛した結果息も絶え絶えになっている演劇、その中でもとくに瀕死で延命措置を繰り返されているように見える最も愛する小劇場演劇の、蘇生までは難しいにしても、安らかに息を引き取る助けくらいはできたらいいな。

 

 

『活動宮』の中で繰り返し発話される言葉のうちのひとつ「認められたい」。この言葉は、劇中の意味合いにおいては前田愛美とその親族らしき人物との対話の中でまずは登場する。記録映像から納屋納屋が聞き取った形で引用する。

 

「生計は立てないの?」

「立ててる人は軌道に乗りそうだった」

「あの人はどんな生活を送ってる?」

「あの人はひとつ認められてる」

「それが礎なんだ」

 

これは我々のような舞台芸術に魅せられその世界に足を踏み入れた人間はもちろん、舞台芸術に限らずとも音楽や映画といったカルチャーの世界に入った人間にとっては身に覚えのあるやりとりだろう。その世界の中でとくに商業化されていないインディペンデントの領域に魅せられてしまった場合なおタチが悪い。そこで裏方ならまだしも、俳優として、またはダンサーとして、またはミュージシャンとして表舞台に立つ道を選んでしまったら最悪と言ってもいい。小劇場演劇の場合、新作を稽古して本番を終えるまでにかかる拘束時間の合計は少なくても1ヶ月、150時間くらいにはなるんじゃないか。場合によってはその倍以上というところも少なくない。そしてその拘束時間は時給としても日給としても賃金計算はされないのが普通。賃金は出演料として1ステージあたり幾ら、という形で計算され、俳優は客演として作家や演出家やプロデューサーから出演交渉され、俳優は個人営業の主としてギャラ交渉に挑む。カンパニー側も数名の有志を抱えただけのほぼ慈善団体みたいなもので、利益を出して収入を得たい、劇団員を食わせていきたい、関わってくださる外注のキャスト・スタッフが希望する額を支払いたい、というのは旗揚げ当初に夢見た話で夢見た順に実現しない。出演交渉された客演側もその辺の事情は分かり切っている。提示されたギャラじゃ稽古のために減るアルバイトの給料の半分にも満たないし、劇場入りの1週間は職場に無理言わなきゃいけない、それでも最終的に提示された額で出演する。なぜなら本番の板の上で味わえる感覚は格別でそのためなら何を投げうってもいいと思えるから。そしてまたパートナーか親に無心するか、アコムだかアイフルだかにこそこそと行く羽目になる。

 

というのは30歳ごろからの筆者の話で20代の頃はもっと酷くてノーギャラかノルマを払うかしていた。想像するに今はもう少し環境は改善されているだろう。そうあってほしい。前田愛美もまたその環境にいて俳優として客演もしながら、自分1人の作・演出・出演による舞台作品をいくつもつくってきた。納屋納屋はすべての上演を見てきたが、『活動宮』はその中でも特別なもののように感じる。それは前田愛美の私生活の変化が大きく関係しているだろう。2023年は舞台にひとつも出演せず、仕事と家庭生活と実家の父親の事業の手助けに追われたこと、それはそれで充実していたが、その1年を通して「鉄格子が降りてくるように感じた」と3 CASTSのアフタートークで話している。その感覚から出発して3 CASTSに出演したいと自ら志願したらしい。そういった実感は以下の台詞の中に現れている。

 

「現実を変えなくちゃって思ったけど、今わたし、何も望まれてない」

 

「認められてる人はどんなふうに生き方がちがうのかな」

「認められたい? 認められたらどうなる?」

「安泰になる」

 

「何もせずに終わる。現実に。私の現実に」

「願い事は何ですか。聞いてみたいことですか」

 

ここには2024年の京都のひとりの小劇場俳優の実感がこもっている。今まで見てきたように舞台芸術の歴史の中に埋もれてしまったほぼすべての作品は再び発見される可能性はゼロに近い。忘れられ、数人の記憶の中に大切に保管されるだけ。京都にあって日本の小劇場の歴史の一角を担ってきた客席数50席規模の民間小劇場は2010年代後半にオーナーの高齢化などを原因に次々と閉館。それを引き継ぎ「京都に100年続く小劇場を」という言葉とともに開館したTHEATRE E9 KYOTOではアトリエ劇研で感じることができたようなエロティックな闇と沈黙に触れることはできない。あんなにも愛しすべてを注ぎ込んでもいいと思えたすばらしい小劇場文化はパンデミックを経てどこかに消えてしまった。そして自分は気づけば36歳、上の世代が築いてきた偉大な文化の歴史をいよいよ自分たちの世代が更新しなければならなかったのに。これはひとりの小劇場俳優としての筆者の実感で、前田愛美の感じているものとはちがうだろう。しかしこの筆者の実感に対して、前田愛美の上演した『活動宮』は、今の演劇として新しい光を与えてくれるものだった。

 

あらためて、上演の中で繰り返し発話される「認められたい」という言葉に戻る。それは前田愛美の私生活から生まれた言葉だった。しかし舞台上でつぎの台詞が発話された流れを考えてみよう。

 

「みんな耳をすまして聞いてくれてるよ。ありがと」

 

「これがあったら、よくない?」

 

これは前田愛美の劇場論とも言えるものだ。演劇公演において、劇場の舞台では俳優は台詞をしゃべり、客席では観客はそれを見て聞くという了解関係。劇場はそのために作られるシステムで、それは当然のことだ。その当然のことに、なぜ前田は触れて「ありがと」と言ったのか。このポイントと「認められたい」という前田の私生活における思いとを並べてみたときに、「認められたい」という言葉が前田の個人的な思いを超えて、劇場論の意味合いを持った言葉として新しい顔を見せる。私生活においては「認められたい」と願う前田愛美が、劇場という装置を用いて「みんな耳をすまして聞いてくれてる」観客と俳優という了解関係が構築された上演の間だけは「認められている」。何よりも好きだったのにどこかに消えてしまったと思っていた「劇場」が、『活動宮』の上演を経てUrBANGUILDというオルタナティブなアートスペースに立ち上がっていく。それは演劇に初めて出会ったときのような、世界のすべてがここにあると思えたような、インディペンデントな演劇のうちの最良の作品でしか味わうことのできないような感覚を思い出させられるものだった。「これがあったら、よくない?」と筆者もまた前田愛美の台詞に応えて感じていた。

 

そしてこれがダンスとも違う、パフォーマンスとも違う、これこそが演劇だと断言できるのは、その上演が見る者と見られる者の相互関係において成り立っているものだとはっきりと言えるからだ。ここ数年はいくら劇場に通っても感じることのできなかったエロティックな劇場の持つその了解関係が、声高に叫ばれることなく、エキセントリックな言動を通じてでもなく、私生活で感じている本当のことを舞台上の俳優が言うという当然で普通の行為として立ち上げられていた。

 

繰り返しになるが、納屋納屋の愛してやまない舞台芸術、とくに愛した結果息も絶え絶えになっている演劇、その中でもとくに瀕死で延命措置を繰り返されているように見える最も愛する小劇場演劇の、小さな結晶が『活動宮』という小さな作品に実を結んでいた。このあまりにもさりげなく儚い作品は、歴史の中にまず真っ先に埋もれていってしまうだろう。30年前に佐藤伸治が歌ったように、こんな世界では表現は何のためになされればいいのだろう。必要ないという声が耳元で囁かれそうだが、それでも納屋納屋はこれを書き残すことで小劇場の歴史に抗いたい。

納屋納屋(なやなや)

2023年よりmimacul「文体を歩く 登山編」メンバー、遊歩場メンバー。2024年春、遊歩場vol.1で「ソングを書く」を上演。mimacul「文体を歩く 登山編」では冊子を発行し、その上演「オノゴロン」が7月19日(金)~21日(日)にある。https://mimacul.com/onogoron/

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