メルマガを書き終えて思うのでは、つくづく「サイト」や「メルマガ」というのは、1さん風味の強い場所であるということ。
2さんや3さんはどこで生息しているのだろう。
(「でしょう」から「だろう」にすると変わる。)
社会適性が一番高い1さん。2さんや3さんが生息している場所を塞がずにとじたい。
「私」の運営を全部1さんに任せてしまいそうになる時、「私」が破綻する。 2さんや3さんが「違う」と言う。 私の欲望が「違う」と言う。
1さんに有力な場所で、2さんや3さんが現れられるのだろうか。 現れるには、どの形をとってそうできるのだろうか。
私とは違う他者、との関わり。
「こんな人」と期待されるところ。「この人をこの人だと思う統合性」。「この人」の先の未来。「この人」とのコミュニケーション。
限定されたコミュニケーションの形、そこから生まれるもの。
1さんには1さん、3さんは3さん、 それぞれ特有の時間のリズムを持っていて、「この人とのコミュニケーション」だと思われる。私自身も、そうしていく。 私と他者がそうしていると、他の「さん」が入る隙間が小さくなる。
時々、1さんで接してきた人と3さんの交流が始まっていることがあるかもしれない。そういう時を希望に持つ。
(2さんは、たいてい憤慨とか、暗い、嫌われ担当なので問題外になることが多い。) (1さんは説明好きで、3さんがぽわんとした感じ、と説明してきた。が、人に対していない時の、「〜だろう」といった言葉遣いは、どっちだろう?)
むろん、統合されてはいるのだが、統合の自信の無さと、私が無視して他の性質の居場所を無くすことを、しないように望まれて、こういう事が書かれている。
(2022/4/27夜、Facebookより)
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