先の出来事は、そこで考えていたのは、2さんだったのかもしれない。
1さんか?
とにかく、私は自分の疑念の性質によって、歩かなかったのだ。
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癒しの音楽を紹介しようと思う。
過去の恨みのCDだ。
自分が財産持ちになった気分になる。
それはそのまま悔しい、恨みともなり、空間に充満しあなたを癒す。
この悔しさは直接の悔しさでなく、対価?を払われるべきあなたのその財産が、ずっと払われない・「払われるべきなのに払われない」、悔しさだ。
悔しさであり、余裕である。
払われていない、ものを持つ、債権をずっと持っている私である。
絶対に払われないのに。
財産持ちであり。
払われない…慈善事業をしている人の気分にまでなる。
私は払われずにいるのだ。巷にある、何とかハラスメント、問題、何とか病は繋げられる。
私は、そんな何かのお金かを貰わずに、生きたのだ。
糾弾せずに。あなたが加害者になったのに。
私は利益を得たのに。
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恨みのCDの登場人物は、関わりようがない、ということで収納されている。
それで完成されてしまっている。
話し合いの先には、私の服従が待っている。
CDの変更にはならない。
酷い恨みの、じゃびじゃびのいくつもの矛先の一つが発達し、メロディで取り巻く。他の矛先について、考えるられる言はあるだろうが。でもいい。
ここからじゃなく、もはや別の出来事から行く方がいい。
それで、恨みのCDはビュウンビュウン聴かれている。
まさにこれがそう。
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