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  • manamisougoumaeda

想像 演劇を観られるのは 村川拓也「事件」を観ていた時

更新日:2021年5月17日

●演劇を観られない私が、どうしてある作品(取り組み)を観ることができるのか、自動筆記したもの。


……………………


出来事の連続

やること あること の中でお菓子を食べる


村川さんの新作「事件」を観た


「想像」がかかっているからだ

私が、あまり演劇を観られない今になっても、観ることができるのは。


その想像のかかり方には、特徴がある。今、の私の脳みそに、手を引いてくれているのだろう。

//いつか観られなくなっても、関心をひいた作品だったことを、私にもその作品にも誇りたい


(村川さんの作品のみならず、過去の誰かの作品に対しても言っています。私は演劇が観られません。とても信じているのに、ダイレクトに心が動かない。別の時期なら、動いただろう。だから、私が観られないことは、その作品や作り手を貶めていることにはならないのだが。)


私はいつしか「内容」を見なくなったと嘆いた、その演劇の仕組みについて、どうやって心が動いているのか、の方を考えるようになった。

ーそれも尽きた。(尽きていないけど)いつも信頼に当たるものだから。

ー仕組みを考えるのに夢中になっていたあと、ん?と立ち止まる時が来て、何で「演劇」を好んで見ているのだろう?と何のために演劇はあるのだろう、そもそも、と。自分の矛先がわからなくなった。


ー「内容」で語られていた、例えば「時間」とか「愛」とか、人物の感情の動きをいちいち真剣に、自分の中で渦巻かせる、それを出来なくなっていることに、空虚さを感じた。



村川さんの、今回の作り方には、「台詞を書いた」とパンフに書いてあった。

これまでにも、セリフはあった。でもそれは呪文的に働いていた。(その時点に行く為の)

今回のは「物語」を考えた。違いがあったんだろう。


想像力の蠢き方が、違う。

「ツァイトゲーバー」「インディペンデント リビング」「言葉」「Pamilya」

「エヴェレットゴーストラインズ」


そうか。(今作は)「何でこうなったんだろう」というところから出発していたのかな。

そうか。顛末は。まとまった空間?じゃなくて、ある時の地点を


何というか因果関係に向かう想像力だったのか?


けれどとても遠いことがわかった。(嘘かも)

ここからだ、面白いのは。


私は、この物語を(人たちを)「想像」だと思って観ていた。

…劇を見るとき、「この人はこういう人なのかな」とか、思いながら見る。脚本を読む時も、「こんな心のかたまりがある」と思って読み込む。

でも、今は、これは、原因に至るまでの「こんな事があったのかな」を。すべて推測で。している。

ーーー周りに何があったのか…「エヴェレットラインズ」の名の元の映画。


「こんな事」と、まとまりとしては言いにくい。

物語の人物が動く環境でもないような、表され方。


演劇的に、気に入ったシーンがある。シーン…こう捉えられるのは私の何と共鳴しているのだろう。ここだけ割り引いた。切り取った。


何となく、あっ、同じ言葉のシーンに戻ってきて、(何だろうこの、あっ、は。)

ずっと続く、中で、お菓子を食べる。

周りは静かではなくて、やる事の環境は動いて、るんだろうなあ。

掃除しなければならないところ、設備、劣化、サービス、そんな時間(ないよどこまで)と自分のやる事が何だか宙に浮いて、でもずっと進んでる感じだった。



ー衣擦れの音。



キャベツを頭に叩く、とか、服を叩きつけるとか、…

想像力の限界、みたいな所を感じるのも好きだった。

(好きだった。…)(と言ったぞ、)(酷いな、作品にしちゃだめだな…)(その前にいないとこの試みは失われるんじゃ)


けれど他人を想像するということは、こんなベタなところに行き着くのかもしれない、と。

 また実際に、実際も、案外そうなのかもしれない、と…


そういう所を頼りに、しか出来ないのかもと。



ーーーーーー「良かった」。何だろう。しっかりした言葉なのに締め付けられる。「良かった」なしに、語り合うことはできないのか。ーー作品は一瞬やっぱり固形物なんだ。いや。「良かった」が、代名詞みたいなものなんだ。「それ」と同じ。ただの「それ」で、そこから話が始まるだけなのだ。

「良い」「怖い」も、何だかわからない、ことを話し始める時の、ただの名前なんだ!



最後のシーン、をベタに分類できない、現れ。

こうであってほしい、私だけがそんな風に観たのかな。そこに閉ざされちゃったのかな。

その一瞬前、他の事を考えていた。気づいたら最後のセリフで、それが印象的に残った。



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想像している。

なっていく「こんな人」かわからないが、どこか重なる所があるのだろうか。


どういうことだったのか。一時停止。またちょうど他のことを考えていて、意識を戻したら変わってないシーンだった。


色んなことを考えた。


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頭の中に白い空気が侵攻してくる。お湯の中にいる。目の前に物事があるのに考えちゃうってそんな感じだ。未来を捨てて何もなく見ると粒だって見える けれど大体の交流、生ではお湯がないと生きられないね お湯は時間なんだ そのものになったら私でなくなる 死体 魂が抜けてその人でなくなること その人が戻ってこなくなること その人が喋らなくなること

====

/私はこの事件の詳細を何も知らない/

どこ あそこかな 同じエプロンかな 売り場と休憩室が同じ面積やったら 

刺したのが店員やったら こんな声の人は得をする



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演劇観

私は最初からその仕組みに連れられて感動していたのだ

きっと どうやって連れられていくか

そして直面している言葉



他人をどう捉えるか

他人は、追っているものとは違うもの


私はすごく他人があることが気になっている

多分興味でなく障害物のようなものとして

正に石みたいだ




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