「よにでる」thinking パフォーマンスから一年経過し、その時来てくれた人と飲む機会があって、記録動画を見返した。
前半は仕事の遍歴、後半は情熱をどうするかという問いかけだった。
青いキャンディを食べると若返り、赤いキャンディを食べると歳が進むという「不思議なメルモ」の仕組みを応用し、私の歳の中を泳いで説明していった。
そして名前のついていない惹かれたものが「演劇」として分化したこと、
「仕事して、稽古して、舞台」というサイクルを繰り返す中で、それこそが「私の人生だ」と認めるようになったことをを伝えた。
一体、どうして、止まったのだろう。
「心の問題だと思っているのに、ライフイベントが重なる」ーーー
ここで、前半の仕事の遍歴と共に語られた、借金をしていたこと、周りの人との現実感のすり合わせの問題が、重なってくる。
このパフォーマンスは、「これが私の人生だ」と認めるような、「リアリティ」を再び得ようとするものである。
演劇をするサイクルが止まり、情熱が行き場を失って、疑問を持って。
ーーー「また頑張ったら、前みたいなサイクルで演劇をすることはできるだろうけど、それは私のリアリティか?」
疑問は、私の体に馴染んだ現実感の変化を語り、二つに分かれていること、を話す。その感覚に、(妊娠など)ライフイベントの要素(未来)が攻撃してくる。
・一定の時間を過ごす
・情熱をかけてきた演劇の方法があるのに、他の方法、するかなあ
・「働いて、お金を得て、生活すること」でも、誤魔化されているかもしれない。働いて、体が馴染んだ。周りの人と。・二馬力の理想・分断された世界で生きられなくなったのかなあ・一つの私に二つの理想
少し黙った後、私は「職場を作る」「安心して子を産む」など理想の10ヶ条が書かれたホワイトボードの後半を読む。その部分は切望と、どうしていいか分からない所だった。
理想の10ヶ条「意味を感じたい」「他人の世界の中にいたい」「自分が情熱を傾けてきたものが、その姿のまま、応え返し続けてほしい」(これは弱々しい望みだな)
私は、問いかけを作る。
ーーー
ここに来てくれた方に問いたかった。
心にショックを受けた、ことを実現する方法が、演劇だった。
でもこれは単なる方法じゃなくて、一生残る方法だと、思ってるんです。
一生残る方法。そこまでになったものを、また使っていけるのかな。*
そこまでになったものを、使える、使う、
でもそんな方法があるのに、他の方法を、見つけていくのか?
演劇をみた時、「演劇」が好きじゃなかった。近づいた、「演劇」を好きになったのは、後からだった。
この中にあるのかな。確かに一つの実現方法だけど、この中に、あるのかな。
ーーー
*から、欺瞞があって、私の問いかけは迷いながら止まっていく。欺瞞から抜け出そうと発した疑問も、また別の欺瞞に陥りそうで、口を閉ざしていく。
「私の企画。誰が期待してるのかな。」
私は、そうしたかった振る舞いで泣き出して、ふと、幼少期の私を演じる。
「この小学校一年生に期待しませんよね。でも、この小学校一年生の未来、をみると期待する。」
問いが作られ出す。
「リアリティの作られ方は、いつも、未来、思い描けるかな。いつも、周りが、あって、思い描けるかな。問いが止まった。」
ここで沈黙した部分を、皆さんに投げたかったのだ。
この先はどうやって言えるだろう。見えるだろう。
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