ぱっちり目が開いてくる!自意識を捨ててここに来ようと思ったのに、画面に向かい合った途端、しゃんとしてしまいました。
半端に折った布団の上でおった私はどうしてしまったのでしょう。
何も思うままに、めちゃくちゃにしてやる勇気はなかった。これが総合住宅まなみの限界でしょう。
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私は色々知ってしまった。
昔、それがダメなことだと知らなかった時、エンターテイメントに溢れていました。
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ブログは理性の溜まり場なら、書けない。すでに磁力が働いている。
ここは1さんの場所で、私は編集者、分類者として生まれた。
感情はツイッターやフェイスブックやミクシイで、あるいはもう私の中で、突き抜けずに山なり谷なり、吸収・納得されていくのかもしれない。
とある私が消えて、確立していく!
↑何も言えない中で立てる、墓標のようなもんである。なんて頼りない論だろう。
論だと思わずに、でもしがみついている。この波の中。
大切じゃないことを秘密にしている。
こんな浅はかで、恥ずかしそうなのが、一番なのよ。
差別を元にした、頭がユラユラする話
空想的で傷つかない でも、未来の子供が読んだら読み込んで悲しむかもしれない。
文化のお母さん。だから。お母さんには、文化的でいてほしい。
それが子供からした信頼よ。それが、愛の確かさよ。
文化の愛を注いでくれるって信頼が崩れたら、子供は茫然だ。
語尾が変わってきたでしょう。そうして流しているの。ああ。主張。
私は何も思ってないの。体の衝動がおさまると、なんだかストンと一緒になってくる。
この私を便利に過ごさせる為にやることは、まだまだいっぱいあるわよ。
さあ、やることおやりなさい。
こんな言葉遣いに乗せられて、(今もこの言葉遣い)私はスッと離れられるのです。
何も大切なことも、恥ずかしい極んだことも、言わなかった。
時々夢の話をします。それは事実になっているから、大丈夫。
勇気の問題でなく環境の問題だ。
こうして1さんらしく、分析して向かって行こうとするけど、それじゃあできないよ。
善人にはできないよ。
じゃあここ、はどうなるっての。
私は分析者なのだ。私は私でないのだ。私は秘密を語らない、私なのだ。
私の秘密が語られる時、私はどこにいるだろう。
私の経験は誰が経験するだろう。
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・文字のマッサージ
・ばれている上での私ー同人名の頓挫
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