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  • manamisougoumaeda

名乗り

近距離 何か運動の記録 感覚 脳の チューブが伸びる

不安(神経症) 口に何か出そう カクカクしたもの 春の気色 窓の外



=すぐにこれが発信される装置だと気づいて 知ってから成り立つ

距離を感じない 挟まれない前に 「自己」の距離を感じ出す前に


すぐに発表装置だと気づいて 誰か向こうにいると気づいて

作る前に動き出す


前田愛美(私)の人生を動かす

正しくない憤り


他人への接せられなさ は、もっと低い低いところから始まっている

憤りじゃない そんなレベルもあるが もっともっと低い。


同じ所業を積んでいるもの。じゃない、感じ。それで。


体力がなくなる 文字を書く 読む 構成する 読んだものの動きを自分の中に構成する


口に何かカクカクした

まだ何の「ふおんな人」になってない私で


そう、実際に不穏な感じがするんです。

プロフィールにする前に。


どう内容を喋っていけばいいの。


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整頓されたサイトの中で、はけ口としての文章

誰にも読まれず

意味をなくし

読んでいるかも 向こうがあるかもという期待

SNSもなくなる MIXI時代から 今また、きっと、SNSに書けど誰もという時代へ

みんな知っているけど知らない 知らない距離でいる時代へ

侵入可能な内側だけ、提示する     ・・・内容として、切実なものを書いたとて。



====


「自分が良ければなんでも良い」この口のカクカクの正体はきっとそう。

良ければ・・・それは・・・どんな「状態」を、思っている?

それが、その状態を遠いと、不安に、なっている。


サラケインの箇条書きみたいになってきた。

・問題提起がなっていること。

・自分の人生や、作品と、くっついていること。

・それをもってして、他人と交流していること。また、社会の中にある???こと。


私には、今、何が、ない、ない、だろう。



==


私は。

しばらく「俳優」だと思えた。

最近は、「俳優」と名乗り続け不都合があるような、気もしてきた。


昔、「俳優」と名乗る前、やっていることは「俳優」なんだけれど、そう言いたくなかった。

その時捉えていた「俳優」にある、誇りやサクセスストーリー、こういうものというカッコを嫌だと思っていた。

職業にまつわる誇りを窮屈に、「させやがって」と思っていた。


諦めて、「趣味です」と言える手立てを構築していった頃か

いや、違う


「俳優」の中にしていったことを、巷の「俳優の仕事」にそれを重ねず、

(演技作業、考えること、それらを自分の「俳優」の中に位置付けていった。それは、巷で言われる「俳優」の中とは別にあるものとして、行(い)った。巷で言われる内容に対照される気がはなからなくなって、私は「俳優」をしてきたと語り始めた。)


(舞台で行った役割は?ー俳優です。:このもとに「俳優」と「諦めて、頑張って、区切りをつけて言う」。巷で通じる言葉。表示内容。表示名。ここから名乗りの継続は、時間をそこに重ねるのは、目印で自分でもその言葉を頼りに探す、のは始まった。)


今、乖離してきた。

「俳優」の名の元に出来る仕事、他の人も想像し頼める仕事(交わるところ)が。

そんな気配がする。


とても重なっていた頃の夢想があった。*君と、**の言葉の中に生きる

(そのテキストの)言葉の中に生きること 演技を作る演出の言葉によって、自分の操作基準、生きられる所が変わること 「もっと生きたい」と思って、していた


(それによって パタン パタン 本が立つ 成り立つ 世界)


自分の作品も、出演も、両方していた頃

両者は私にとって違う演劇のあり方だったのだ   ☆☆☆


かなり、出演で叶わなくなってきた。

他者の言葉に生きられないストレス   !!!!!!!!



==

ぬるい。なぜ持ち寄りで出来ると思う?

なぜ各人信じている演劇の姿をしようとしないのか。できないのか。

腹が立つ。


「こういう文化なんだ」

なんでうまくいくように、整えないんだろう。


共同創作が嫌いなことははっきりしてきたが、普通のお芝居でも、そんな現場だった。

自覚できる怒りが、今メラメラと燃え上がっています。


ぬるい方法の追求にしかならないんだったら、私はもう出たくありません。

「ちょっといい」にしかならない、私の大事なところ。


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世界から消えていく「もっと生きたい」


==

消費される、だけのものになってしまう。


ーーーーーー「歴史に残りたい」と言った それはパワーの出ていた頃だが そんなでも、公演が終わり、終わる、ほのかなモヤモヤ


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知らないところを知ることが出来る それは良いところ 俳優の

声をかけられやすいのは、肩書き「俳優」の良いトコロ


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夢想する演劇を捨てた (捨てたい)

他人との 演出家との 演劇を


他者の言葉の操作 

今 自分が設計するばかり 提出 仕事のようだ 私の中で、力の双方向性はない

一方の力(ほとんど私の力)で仕上げる 工期 虚しさ

出会った時に変わる けれどね 舞台でね だけどね 殆どそれを味合わないのがオオカッタって事だけで片付く?

工期 製品納期 納入 ところで何もないんですか?

「締め切りを守った」以外に、何もないんですか?

「私の作品」でもありません。「配慮」もしました。


公演の外に出れば、私はただ仕事を休んでいただけだった。

別の時間ではない。謎の納期を守った人だった。

何してるんだ?


=====


他人に期待するのはやめてしまって

人の作品には出ない としてしまって


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(一方の演劇を封じるの ???)

(そこでの「もっと生きたい」はなくなるんだ)

   (それがもう古かったかな 限界になってる?そんな問題提起 だとしても 解決を その道で つけると思う )


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こんなに散々言ってきて、私は今、「自分の作品」何かあるだろうか?

もう一度。何があるだろうか。



(ずっとずっと。それで立っていたい。)


(そんなこと出来る?)


何もない。今。消化した出来事。飲みくだされ大丈夫になった出来事。呪い。



人を見る。

何かしないと。



私の経験から問題を洗い出すと「悪口」になってしまう。

その時間の流れは、こんな「悪口」だけでないと、言っておきたい。

だが、私(考えている事)にとっては「問題点」や「不満」を、取り出すものになるのだ。



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○別件

やったら出来そうなことを、やれないことが多い
















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澄々ワタル

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